伊沢拓司の家族構成!父親は養命酒の元コピーライターで現在は旅人?!

クイズ番組『東大王』にて頭脳明晰さに注目され、一躍有名になった伊沢拓司(いざわたくし)さん。

現在では、クイズプレイヤー以外にも、タレントやYoutuberとしても活躍していますよね。

そんなクイズ王が育った家族構成が気になりませんか?

今回は、伊沢拓司さんの家族構成について調査しました。

目次

伊沢拓司の家族構成

伊沢拓司さんの家族構成はこちらです。

  • 本人

順番に見ていきましょう。

伊沢拓司の父親

伊沢拓司さんの父親の名前は、伊沢隆司(いざわたかし)さんといいます。

伊沢拓司さんと同じく、「司」という字が使われていますね。

実は、祖父は「たけし」さんというらしく、同じように「司」が使われているのだとか。

たけし、たかし、たくし…なんだって

1956年3月生まれとのことなので、2025年4月現在では69歳ということになりますでしょうか。

『東大王』の父親もやっぱりエリートでした!

ここで、父親の経歴を少し紹介しましょう。

父親は、昭和47年に『茨城県立水戸第一高等学校』に進学しました。

水戸第一高校は偏差値73で、県内トップクラスの進学校。

東大や早稲田、慶應といった難関大学への進学率も高いそうだよ

父親も例に漏れず、高校卒業後は『早稲田大学教育学部』に進学。

大学卒業後は『養命酒製造株式会社』に入社し、広報課に配属され、コピーライティングの仕事をしていたそうです。

数々のヒット広告を生み出した敏腕コピーライターだったそうだよ

最終的には広報副長を務め、2018年に定年退職をしたようです。

父親の趣味は旅。

定年退職後は旅人をしているようで、旅の間は音信不通になってしまうのだそう。

父の教え

言葉に精通していた父親は、とにかく口達者。

結婚式の司会などを務めると必ず「本業の方ですか?」と聞かれるほどだそうですよ。

そんな父親は言葉遣いにとても厳しいそうで、伊沢拓司さんには忘れられないエピソードがあるようです。

それは、伊沢拓司さんが小学2年生だった時のこと。

サッカー少年だった伊沢拓司さんは、W杯日韓大会に夢中だったそうです。

引用元:loosedrawing

日本代表がベルギーに失点をした場面で、伊沢拓司さんが

「今のは川口(能活(よしかつ))だったら、絶対、止められたよ」

発言した際、父親は「絶対という言葉を軽々しく使うな」と叱りました

「何事にも絶対はなく、物事への決めつけは危険。広い視野を持て」という父親からの教えだったようですね。

𠮟られたのはこの時が最後だったようだよ

父の教育法

伊沢拓司さん曰く、父親は明るくひょうきんな性格なのだそう。

クイズやギャグなどが大好きなんですって。

そんな父親の教育法も他とは一風変わっているようで…?

  1. ジョーク訓示
  2. にんじんをぶら下げる
  3. 自宅図書館

順番に見ていきましょう。

1.ジョーク訓示

ギャグ好きな父親は、とにかく伊沢拓司さんにギャグをひたすら飛ばしていたそうです。

例えば、「なんか白い鳥が飛んでいるから、だまされるなよ」とか。

え?どういうこと??

これは、鳥のサギと犯罪の詐欺がかかっているというギャグ。

まだこれは初級で、難しい言葉や政治ネタの子供相手に容赦のないジョークも飛んでくるのだとか。

伊沢拓司さんはこのようにして学びを得たり、言葉を覚えていったのだそうです。

ギャグのレベルがちょうど良かったことも、楽しく取り組めた理由のひとつのようですよ。

2.にんじんをぶら下げる

現在では想像できませんが、実は小学生低学年の頃は勉強が苦手だったという伊沢拓司さん。

「タダで勉強しろと言われても、会社行って給料出ないのと一緒」という持論を持つ父親は

今度のテストで10人抜いたら1人1000円ね

とご褒美システムを採用。

最初はゲーム欲しさに始めた勉強。

次第に、勉強そのものや人を抜かす感覚が楽しくなっていったのだとか。

3.自宅図書館

両親共に読書好きだった伊沢家。

実家にはとにかくたくさんの本があり、ミニ図書館のようなのだそう。

伊沢拓司さんが物心がつく頃、さりげなく日本の歴史の学習漫画が本棚に並べられていたそうです。

「マンガが読める」と自然と手に取るようになり、伊沢拓司さんも読書好きになったのだとか。

休日は父親とブックオフに出かけ、ずっと立ち読みしていたこともあるそうですよ。

父親の本好きはとどまらず、『茨城県立鹿島高等学校』に本の寄贈もしたそうです。

引用元:茨城県立鹿島高等学校

息子の本っていうのが、愛を感じるね

いかがでしたでしょうか。

伊沢拓司さんは、子供の頃から楽しく遊んでいるような感覚で勉強に取り組んでいたようですね。

伊沢拓司さんが大学生なってからも学びは止まらず、父親は

これが自分が今まで巡った銭湯600か所の地図だ

と、旅で得た知識や難読駅名などの情報を教えてくれたのだそうですよ。

伊沢拓司の母親

伊沢拓司さんの母親の名前は、伊沢みゆきさんといいます

年齢は公表されていません。

父親と同年代であれば、母親も60代~70代前半くらいでしょうか。

職業は、日経新聞のリサーチャーをしていたそうです。

リサーチャーって?

リサーチャーとは、新聞や雑誌、インターネットなどから情報を収集して、紙面制作やマーケティングなどに活用する仕事のこと

父親と同じく、母親も言葉を扱う仕事だったようですね。

共働きの両親に育てられた伊沢拓司さんは、一人でいる時間も長く、保育園のお迎えも一番最後。

両親は多忙ながらも、伊沢拓司さんの興味を持ったことには、とことん付き合ってくれたのだとか。

  • 電車を見るために、駅に何時間も座った
  • 朝イチでビデオを借りに行った

興味を持ったことにすぐ取り組むという経験が、今の伊沢拓司さんを作り上げたのかもしれません。

両親からの愛も感じられただろうね

母の教育法

母親の学歴については公表されていないようです。

職業がリサーチャーで、趣味が読書と聞くと、母親も高学歴なのかなと思いますよね。

しかし、伊沢拓司さん曰く、母親は勉強があまり得意ではなかったのだとか。

そんな母親の教育法はどんなものだったのでしょうか。

  1. 諦めずにしっかり向き合う
  2. 復習ノートを作る
  3. 勉強を促すタイミング

順番に見ていきましょう。

1.諦めずにしっかり向き合う

伊沢拓司さんは元々勉強があまり得意でなく、周りと比べ、ひらがなが上手く書けませんでした。

そんな時、母親は無理に書かせようとはせず、

最初は鏡文字でもいい。鏡文字を書ける期間は貴重。

と、できるようになるまで、とことん向き合ってくれたのだそう。

鏡文字とは、上下はそのままで左右を反転させた文字のこと

右脳と左脳の発達が関係しているようだね

2.復習ノートを作る

母親は、勉強そのものを教えることはなかったのだそう。

そんな母親が唯一してくれたことが、復習ノートを作ること。

どんなノートなんだろう

気になるその中身は、伊沢拓司さんの解いたテストのバツがついている問題だけをコピーして作られていたそうです。

伊沢拓司さんは、このノートのおかげで復習の大切さを知り、勉強の助けにもなったと明かしていました。

解いて満足しちゃいがちだよね…

3.勉強を促すタイミング

「勉強しなさい」と言われ、「今やろうと思ったのに」とイラっとしてしまった経験…ありますよね?!

伊沢家でも例外なく使われていたセリフのようですが、どうやら声掛けのタイミングが完璧なんだとか!

勉強中でも遊び中でもなく、遊び終わってダラダラしている時に言われるんですって。

他にも、ご飯が終わって、お風呂に入る前の時間とかね

何もしていない時間に言われるため、素直に受け入れやすかったのだそうですよ。

いかがでしたでしょうか。

特別難しいことはしていないようですが、意識して継続させるのは中々大変ですよね。

子供が大きくなった時の参考にしたい

伊沢拓司は一人っ子

伊沢拓司さんに兄弟はおらず、一人っ子のようです。

両親が共働きかつ一人っ子だということで、一人時間が長かった伊沢拓司さん。

しかし、その一人時間もなんとなく過ごしていたわけではなく…。

自分で課題を探しクリアするということを繰り返していたり、ビデオから学びを得たり。

その経験も今の伊沢拓司さんに繋がっているそうですね。

まとめ

今回は、伊沢拓司さんの家族構成について調査しました。

共働きの両親の元で育った伊沢拓司さん。

両親の教育法には目から鱗だったのではないでしょうか。

伊沢拓司さんの今後の活躍にも期待しましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次